連載にあたって~第1回
2011年 06月 27日
歳を重ねるということ(連載にあたって)
綺麗なお月さま
冬の透きとおった氷のお月さま
私は、いつも見上げながら
「いつ、お母さんは迎えに来てくれるのだろう。」
「春になったら?」
と自問自答をくりかえしてきました。
「ひとりで生きていかなければならない。」と悟ってから、
私は家族の前で泣かなくなりました。
寝ている間に耳たぶに涙をためるような
夜、中庭で空を見上げながら嗚咽をこらえるような
いまの,元気はつらつ!!な私からは想像できない、こども時代。
「生まれてこなければよかった」
「自分のせいじゃない・・・」
長い間、私はその考えから抜け出せないでいました。
でも、いま、いつも守口の母が言っていた
「あんたも大人になったらわかる。」
「こどもを産んだらわかる。」
「お母さんの歳になったらわかる。」
という意味がようやくわかりかけてきました。
「私の歩み」を振り返る余裕もできました。
歳を重ねることは、とっても素敵。
いま、そんな思いをかみしめています。
2011年6月
(第1回)
第1章あんたはうちの子やない
<1>突然の宣告
私には幼少のころの思い出がほとんどありません。
住まいは大阪府守口市。幼稚園の頃は5月生まれで体も大きく、しゃきっとしたリーダー的存在だったようですが、あまり覚えていません。
3歳の時、近所の天乃神社の「稚児行列」に並んでいる写真が一枚、幼稚園の卒園アルバムが1冊だけあり、そこから想像できるくらいです。
幼稚園の卒園式を終えたある日のことでした。4人兄弟でしたが、なぜかその日は私だけが母親につれられ、天満橋の松坂屋にいきました。
そこの食堂で突然、「あんたはうちの子やない。今度、小学校に入学するので本当の母親のところに帰りなさい」と宣告されたのです。
前々から欲しかった着せ替え人形を買ってもらってすぐの出来事でした。
それから家の近くの喫茶店で初めて生みの親に会わされ、そのまま大阪市港区の文化住宅2階に連れて帰られました。
何日か後には、本籍地の母の実家がある四国の家に行き、金毘羅山にお参りしたのを覚えています。そのため、小学校の入学式にも出席できず、わけもわからず文字通りの母ひとり子ひとりの生活が始まったのです。
わたしの人生の幕開けでした。
by 6570295
| 2011-06-27 00:00
| 私のあゆみ