市会議員・黒田みち「私のあゆみ」


by 6570295
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第4回

第1章あんたはうちの子やない

<4>お弁当作りだけが思い出に


 母が夜の仕事をやめて再出発することになり、大阪市住吉区、住吉大社近くに転居。
 そこで母は喫茶店「スワン」を始めました。
 
 しかし、母の忙しさは変わらないまま。
 いつも夜遅くまで喫茶店で働き、家に帰ってくるのは私が寝てからという生活・・・。
 結局、ひとりで起きて学校に行く・・・という生活は変わりませんでした。

 時々私がお客さんのいない喫茶店に行って、夕方のテレビを見たり、みつまめを食べてそのまま「おやすみ」をいってひとりで帰るような日々。

 お店と自宅のドア1枚・・・それなのに母との距離はあまり近づきませんでした。

 もちろん、母に遊んでもらった記憶はありません。
 ある日、
 「あんたは、いつもおばちゃんって言う・・・。」
 その言葉は、しっかり記憶に残っています。

 わずかな記憶の中・・・
 運動会の時にお弁当用のかやくご飯の作り方を教えてもらったことは覚えています。
 
 ごぼうのササガキの作り方の手ほどきをうけ、最初から最後まで私が包丁を握っていました。
 母と一緒に何かをした最初で最後の思い出・・・
 
 だから、いつまでも記憶に残っているのでしょうか。

 運動会に来てくれたのか?
 その記憶はまったくありません。
 運動会そのものの記憶も・・・。  
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# by 6570295 | 2011-07-16 22:51 | 私のあゆみ

第3回

第1章あんたはうちの子やない

<3>実母との新しい生活の始まり

 突然育ての親から「うちの子やない」と告げられた時は、もちろんとてつもなく大きな出来事(今でもつい昨日のように覚えている瞬間)でしたが、悲しいとか不安だとか・・・という感情がわかなかったような気がします。

 子どもの生まれ方や家族の成り立ちといったことを理解できない年齢で、産みの親と育ての親の違いも分からない年齢・・・。

 ただ・・・「今の家から追い出され、新しい家にもらわれる」「私はひとりぼっちなんや。ひとりで生きていかなあかんねん。」と強く意識したことをはっきり覚えています。

 突然の「自立宣言」日。
 松坂屋の食堂での記憶は
 はじめて、母とふたりきりの食事
 はじめて、自分にだけ買ってもらった人形
 たったそれだけのこと
 
 こどもって
 理屈ではなく
 今、起こっていることを
 丸ごと、全身全霊で受け止め
 時間に流されていかざるをえない・・・

 「ひとりで生きていかねばならない」「甘えてはならない」との思いからか、泣くこともなく、知らず知らず、何があってもじっと我慢し続ける子どもになっていました。

 でも、そこはやっぱり子どもは子ども。
 夜寝ている間に涙が出ていたのでしょう、乳母のようなおばさんから「耳たぶに涙がたまっていたよ」と言われたことがありました。
 
 また、積もり積もった思いが、一度だけ我慢できなくなりました。

 ある日の夕方、母に「仕事に行かんといて」
 「私をほっていかんといて・・・」
 と泣いて訴えたことがあります。

 これには母もこたえたようで、これを契機に夜の仕事をやめ、転居することになりました。

 人生、はじめての「反乱」
 生みの母に
 最初で最後の自己主張

 小さな文化住宅の
 細い細い路地
 
 私の遊び空間
 新しい居場所での

 ほんの一瞬の出来事
 守口から移り住んで数ゕ月目のことでした。
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# by 6570295 | 2011-07-10 23:32 | 私のあゆみ

第2回

第1章 あんたはうちの子やない

<2>明るい性格が一変


 ある日、突然母親を名乗る「知らない人」に連れて帰られ、移り住んでからも、水商売で生計を立てていた母は、夕方に出かけ夜中に帰ってくる・・・

 私は朝、ひとりで起き、大阪市立道仁小学校に通う。
 こんな関係だったので、母と接する機会はあまりありませんでした。
 不憫に思ったのか、乳母のような人が夜の食事を用意して、寝入るまで一緒にいてくれていました。
 本当に静かな時間をくりかえしていました。
 楽しく、キラキラと輝いているはずの「小学校1年生」の思い出はほとんどありません。

 家にお父さんが居ない・・・そのことが不思議ではなかったのに
 学校で「父の日」に白いカーネーションを渡される
 そんな時代でした・・・そしてそんな生活の中で現実を刻んでいくこととなります。

 あまり覚えていないのですが、時々父親が会いに来たり、母は以前病院で働いていた関係で、家には注射器などがあって、それで水鉄砲のような遊びをしたり・・・の生活でした。

 小学3年生くらいまでは、ひとり遊びが中心で、友だちの中にいても全く目立たず、家でも学校でもいじいじした子どもでした。
 元気はつらつの幼稚園時代から、一挙に性格が変わってしまったのです。


 こども時代・・・全身全霊で生きている時代
 生活まるごとが、自分そのもの・・・の時代

 小さな世界に少しずつ現実の厳しさが影を落としていきます。
 たくさんの人に関わってもらった空間から放り出され、知らない土地で知らない人と・・・時間を歩くこととなりました。
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# by 6570295 | 2011-07-03 19:45 | 私のあゆみ

連載にあたって~第1回



歳を重ねるということ(連載にあたって)

綺麗なお月さま
冬の透きとおった氷のお月さま

私は、いつも見上げながら
「いつ、お母さんは迎えに来てくれるのだろう。」
「春になったら?」
と自問自答をくりかえしてきました。

「ひとりで生きていかなければならない。」と悟ってから、
私は家族の前で泣かなくなりました。
寝ている間に耳たぶに涙をためるような
夜、中庭で空を見上げながら嗚咽をこらえるような
いまの,元気はつらつ!!な私からは想像できない、こども時代。

「生まれてこなければよかった」
「自分のせいじゃない・・・」
長い間、私はその考えから抜け出せないでいました。

でも、いま、いつも守口の母が言っていた
「あんたも大人になったらわかる。」
「こどもを産んだらわかる。」
「お母さんの歳になったらわかる。」
という意味がようやくわかりかけてきました。
「私の歩み」を振り返る余裕もできました。

歳を重ねることは、とっても素敵。
いま、そんな思いをかみしめています。

2011年6月


(第1回)
第1章あんたはうちの子やない
<1>突然の宣告
 
 私には幼少のころの思い出がほとんどありません。
 住まいは大阪府守口市。幼稚園の頃は5月生まれで体も大きく、しゃきっとしたリーダー的存在だったようですが、あまり覚えていません。
 3歳の時、近所の天乃神社の「稚児行列」に並んでいる写真が一枚、幼稚園の卒園アルバムが1冊だけあり、そこから想像できるくらいです。a0202278_15114125.jpg

 幼稚園の卒園式を終えたある日のことでした。4人兄弟でしたが、なぜかその日は私だけが母親につれられ、天満橋の松坂屋にいきました。
 そこの食堂で突然、「あんたはうちの子やない。今度、小学校に入学するので本当の母親のところに帰りなさい」と宣告されたのです。
 前々から欲しかった着せ替え人形を買ってもらってすぐの出来事でした。

 それから家の近くの喫茶店で初めて生みの親に会わされ、そのまま大阪市港区の文化住宅2階に連れて帰られました。
 何日か後には、本籍地の母の実家がある四国の家に行き、金毘羅山にお参りしたのを覚えています。そのため、小学校の入学式にも出席できず、わけもわからず文字通りの母ひとり子ひとりの生活が始まったのです。

 わたしの人生の幕開けでした。

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# by 6570295 | 2011-06-27 00:00 | 私のあゆみ