市会議員・黒田みち「私のあゆみ」


by 6570295
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第10回

第1章あんたはうちの子やない

<10>父の工場が倒産


 
 家庭の風向きが大きく変わったのは、父の工場の倒産でした。
 父が保証人になった先が倒産。
 不渡り手形を背負う形で父は工場をたたみ、
 取り引き先の小さな工場に仕事に出るようになりました。

 それから家庭の経済状況は厳しさを増していきます。  

 母は、守口市の委託を受けて
 産休明けの赤ちゃんを預かる託児所をしていました。

 父の工場の倒産の後、しばらくは託児所をがんばっていたその母も
 はじめて外に働きに行くことになりました。

 9つ上の兄、6つ上の兄、3つ上の姉・・・
 兄の進学のこともあり
 「長男やから大学にいかさんと」「でもお金はないし」といった父母の会話が聞こえ、ちょこちょこ喧嘩をしていました。 
 言い争いや喧嘩の気配を感じるたびに
 「わたしはここにおってはいけない」との思いを強くしたものです。

 中学に入学する時、私の制服の購入をめぐって、両親がいいあらそう場面がありました。
 「おさがりの制服でもいいやないか」
 「他人の子やからよけい新しい制服を買ってあげなあかんのと違うか」・・・
 といった話題が耳に入ったりしました。
 
 聞こえているけれど・・・知らん顔をして様子をうかがう・・・
 それが・・・日常となっていきます。

 結局、新しい制服を買ってもらって入学。
 毎日
 中学校から帰ったら
 洗濯をして次の日に備える・・・
 スカートは総プリーツだったので
 毎晩
 お布団の下に敷いて「寝押し」をする
 大切な大切な制服でした。

 実の母からは全く何の連絡もなく・・・

 兄や姉が卒業をした近所の中学校に入学
 当時流行っていたアニメの影響で
 テニスクラブに入部

 ラケットなどが必要になった時に「そんなものにお金をかけられへん」言われたりもしましたが
 結局は、父が買ってくれました。

 学校という居場所
 友達という人間関係
 先生という支え手

 新しい居場所がひろがり
 近所の人の手から少しずつ卒業していくこととなります。

 前野のおっちゃんは
 おばちゃんが亡くなり
 毎日のご飯を母がつくり
 私が運ぶことが日課になっていました。

 すぐ近くの
 みんなが遊んでいた中庭
 共同水道がなくなり
 スイカを冷やしていた井戸も
 周りの田んぼも
 少しずつ
 少しずつ町の並びにも変化が・・・

 大きくなっていく時の流れと
 変化していく人のつながり・・・

 私の成長と共に
 変わっていく現実がありました。

 時の移ろいは確実に現実のものとなり
 何でも話せていたこども時代

 そして
 誰もが経験する
 何も話さない自己探求の迷路へと入っていくこととなります。

 新しい居場所
 友達を求めて・・・新しい世界も広がっていくこととなります。
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by 6570295 | 2011-08-28 20:16 | 私のあゆみ

第9回

第1章あんたはうちの子やない

<9>寂しさも徐々に薄らぐ


 小学校の3年生に進級し、少しづつ生活が落ち着いていったからか
 性格が変わっていきます。

 担任の前田先生が、長兄の担任でもあった関係で、家の事情をよくご存じだたのでしょう・・・
 とてもいい先生でした。

 そのころの私は、ひとりぼっちではなく
 集団の中でちょこんと座っている存在でした。
 積極的に何かをするでもなく・・・
 目立たない、おとなしい子・・・
 でも、常に集団の隅っこでいる
 集団の一員として
 先生の家にも遊びに行きました。

 家での、お客さんという感じは変わらず・・・
 姉からは「あんたはうちの子と違うからな」とちくちく言われていました・・・
 私は
 「本当のことやからしょうがないなぁ」と思うようになっていました。

 いろいろ言われるけれど・・・
 ご飯はちゃんと食べられるし、「おかわりは?」と聞いてくれたり・・・
 姉に遠慮して「もういいです」と言ったりしていましたが、ひもじい思いはしませんでした。

 その頃
 父は従業員数人の会社をしていたので、一応、従業員の人からは社長のお嬢さんの扱いでした。
 しかし、そのひと時もつかの間
 父は、保証人として責任をとることとなります。

 何もよくわからない・・・
 でも
 家の経済状況が変わっていくことが
 よりリアルな形で現れていくことになります。

 それでも
 少しずつ
 本当に少しずつ
 私の居場所ができはじめます。

 時の移ろいは
 人の心を溶かしていきます・・・
 そして
 そのことも
 少しずつ
 本当に少しずつ
 私も実感していくことになります。

 紆余曲折しながら・・・
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by 6570295 | 2011-08-21 07:23 | 私のあゆみ

第8回

第1章あんたはうちの子やない

<8>近所からも優しくされ


 近所の大人の優しさにもずいぶん救われました。
 特に家の向かいの前野のおっちゃん、おばちゃんのことははっきり覚えています。
 子どもさんが居られなかったので、私のことをとっても気にかけてくれていました。
 「ちょっとおいで」といって半紙に包んだお菓子をくれたり、
 ひとりぼっちで家にいると「困ってへんか?」と声をかけてくれたりしました。

 ある日、近所の田んぼで採ってきた大量のオタマジャクシが死んでしまって
 どうしていいのか・・・と思っていると
 「大丈夫、大丈夫・・・」ときれいに始末をしてくれました。

 近所のおばちゃんも
 「一緒に畑に行こうか」とリヤカーの後ろに乗せてくれて
 連れていってくれたりしました。

 どの家にも鍵がないような時代・・・
 きっと、「あそこの家では、よそで子どもを作って連れて帰って来てるで」といったことはご近所の間で知れ渡っており、よけい優しくしてくれたのかもしれません。

 家では「あんたは、うちの子やない」と言われ、針のむしろだっただけに
 学校での先生
 近所のおっちゃん、おばちゃん達の優しさが嬉しく、救いでした。

 もちろん
 その頃の小さい私が
 「お互い様」というコミュニケーションを知ろうはずがありません。

 でも・・・
 二重にも三重にもあるコミュニケーションの輪の中で

 私はいつも「ごまめ」でしたが・・・
 異年齢のこども集団の輪の中で育っていったことはいうまでもありません。

 守口は湿地だったため
 亀やヘビがいつも居る・・・
 まだまだ田んぼや畑があったので
 根っこのついたままのお豆をもらってひきずって帰ったり
 ひとりぼっちでもひとりじゃない空間がたくさんありました。

 寂しさを感じさせるのも人
 その寂しさを埋めてくれるのも人
 
 「特別」だからこそ
 違う温もりの輪の中で
 こども時代だからこそ
 それが
 日常・・・となっていきました。
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by 6570295 | 2011-08-15 17:44 | 私のあゆみ

第7回

第1章あんたはうちの子やない

<7>先生の優しさが救い


 守口に来て、2年生の2学期から姉と一緒に橋波(はしば)小学校に行く生活が始まりました。

 学校では、月齢が高いこともあって運動や勉強であまり困ったことはなく、
 しかられたこともありません。
 
 しかし・・・すぐに友だちができるはずもなく
 いつも担任の女の先生(佃先生)にくっついていたり
 友達と体がぶつかっただけでも、しくしく泣くような子どもでした。

 家に帰れば針のむしろ
 学校では友だちもなく
 不安の固まりのような子どもでした。

 その中で担任の先生の優しさが救いでした。
 わたしは、その先生をつなぎ止めておきたい思いからか・・・
 折り紙を折って先生にあげたり、年賀状を書いたりしていました。

 特別何かをしてくれるのではないけれど・・・
 優しいまなざしをむけてくれるこの先生が
 当時のわたしの唯一のよりどころでした。

 2年生の時のわずかな思い出
 
 でも・・・ 
 そこから
 毎年
 素敵な先生と出会うこととなります。
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by 6570295 | 2011-08-07 16:56 | 私のあゆみ

第6回

 第1章あんたはうちの子やない

   <6>いつか迎えに来てくれる


 気持ちのどこかに
 「いつか迎えに来てくれるんやろう」
 「夏休みが終わったら迎えに来てくれるのかな」といった気持ち
 「まさか・・・もう捨てられへんわ・・・」という思いも
 抱き合わせであったような気がします。
 そんな期待が心のよりどころでした。

 守口の家では、母からも3歳上の姉からも
 「ここは、あんたの家ではない。
 うちの子やない」とさんざん言われていましたし
 私も
 「わたしのいる場所ではない」と思っていました。

 だから、「母がいつか迎えに来てくれる」という望みは、一番の心の糧でした。
 
 空を見上げ
 お月さまやお星さまをながめ
 ただ・・・
 泣くもんか
 我慢、我慢・・・と

 家の中では
 とっても強情な子

 それでも
 姉の後をくっついて遊んでもらっていました。

 誰もが
 それぞれに自分のバランスをとっている。

 嫌なことも言うし
 いけずなこともする・・・

 でも・・・
 だから・・・
 それ以上エスカレートすることもなく・・・
 こどもの殻を脱いでいくこととなります。

 私は、だんだん
 また・・・居場所に落ち着くこととなります。

 「いつ・・・迎えに来るのかなぁ・・・?」
 この気持ちは小学5、6年頃まで持ち続け
 次は、
 「小学校の卒業の時?」
 「中学校の入学かなぁ・・・。」

 毎日・・・から
 毎週へ・・・
 そして節目節目へ・・・と時間をおいていくこととなりました。
 
  しかし・・・ 
 「帰ってこない」と悟ったのはずいぶんたってから・・・
 
 中学校の時の養女へのお誘い・・・

 自分の戸籍を取り寄せ
 母の戸籍記載を確認・・・
 高校生という多感な時期

 誰もがそう・・・想うように・・・
 「なぜ?生まれてきたのか」
 「私は・・・必要な子どもだろうか?」など
 
 自分自身の哲学(^ー^)
 それを追い続けていくことに001.gifなりました。
 
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by 6570295 | 2011-08-01 22:12 | 私のあゆみ