市会議員・黒田みち「私のあゆみ」


by 6570295
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第5回

第1章 あんたはうちの子やない

<5>再び守口へ


 住吉に移ってからの母との新しい生活も、母になつくことはなく、母は『あんたは私のことをおばちゃんと呼ぶ』と繰り返していました。
 なんとも言えぬ目をして・・・

 それでも・・・
 やっぱり、『お母ちゃん』とは
 よう言わなかったですね・・・

 結局、なつかないまま・・・
 小学2年生の夏休みに、何も伝えられず、机とランドセル、そして私・・・
車に乗せられ、育ての親の守口に帰されたのです。

もうすぐ夏休みが終わろうとしている頃
守口の家に戻されたときは、「預けられたのかなぁ、棄てられたのかなぁ」と思いましたね。

 きっと、よくは分かっていないのですが・・・

 前は守口の母が「うちの子やないから本当の母親の所にお帰り」と送り出してくれた・・・生みの親も「自分で育てよう」という気持ちもあったでしょう。
 突然だったけれど・・・私にも事のなりゆきは伝えられていましたから・・・

 ところが
 今度は何も言わず何も聞かれずに帰された。
 守口の家に着き、運ばれた机がポツン・・・
 「縁を切ったと思っていたのにまた戻ってきた。」迷惑なんだ・・・という空気が一杯でした。

 守口へ有無を言わさず送り返された・・・夏休みが終わる頃、また住吉に連れて行かれるのだろうか・・・不安とも期待ともつかぬ妙な毎日。

 でも・・・「あんたは、ここの家の子やないのに・・・」その言葉の繰り返しの中で
 「これはもう実の母親から棄てられたんだ」と思いましたね・・・

 それでも
 「迎えに来るかも・・・」という淡い期待

 おばちゃんとしか呼べない母

 お母ちゃんとしか言えないのに言ってはならないと思い込もうとしている自分

 自分の居場所が見つけられないまま
 振り出しにもどってしまった1年半・・・

 でも・・・
 それは振り出しではなく
 新しい居場所探しのスタートでした。

 こどもなりの遠慮と生きていくすべ
 誰から教えられるわけでない・・・

 大きな広い海原に漂っていくことになります・・・
 「迎えに来てくれるかもわからない」
 ほんのわずかな「居場所(親元)」への想い・願いを浮き輪にして・・・

 結局
 かなわぬこと・・・と理解するまで
 長い長い月日を重ねていくこととなります。

 明日への期待
 これがあるから・・・時を紡いでいけたのかもわかりません。 
 
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by 6570295 | 2011-07-24 15:29 | 私のあゆみ

第4回

第1章あんたはうちの子やない

<4>お弁当作りだけが思い出に


 母が夜の仕事をやめて再出発することになり、大阪市住吉区、住吉大社近くに転居。
 そこで母は喫茶店「スワン」を始めました。
 
 しかし、母の忙しさは変わらないまま。
 いつも夜遅くまで喫茶店で働き、家に帰ってくるのは私が寝てからという生活・・・。
 結局、ひとりで起きて学校に行く・・・という生活は変わりませんでした。

 時々私がお客さんのいない喫茶店に行って、夕方のテレビを見たり、みつまめを食べてそのまま「おやすみ」をいってひとりで帰るような日々。

 お店と自宅のドア1枚・・・それなのに母との距離はあまり近づきませんでした。

 もちろん、母に遊んでもらった記憶はありません。
 ある日、
 「あんたは、いつもおばちゃんって言う・・・。」
 その言葉は、しっかり記憶に残っています。

 わずかな記憶の中・・・
 運動会の時にお弁当用のかやくご飯の作り方を教えてもらったことは覚えています。
 
 ごぼうのササガキの作り方の手ほどきをうけ、最初から最後まで私が包丁を握っていました。
 母と一緒に何かをした最初で最後の思い出・・・
 
 だから、いつまでも記憶に残っているのでしょうか。

 運動会に来てくれたのか?
 その記憶はまったくありません。
 運動会そのものの記憶も・・・。  
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by 6570295 | 2011-07-16 22:51 | 私のあゆみ

第3回

第1章あんたはうちの子やない

<3>実母との新しい生活の始まり

 突然育ての親から「うちの子やない」と告げられた時は、もちろんとてつもなく大きな出来事(今でもつい昨日のように覚えている瞬間)でしたが、悲しいとか不安だとか・・・という感情がわかなかったような気がします。

 子どもの生まれ方や家族の成り立ちといったことを理解できない年齢で、産みの親と育ての親の違いも分からない年齢・・・。

 ただ・・・「今の家から追い出され、新しい家にもらわれる」「私はひとりぼっちなんや。ひとりで生きていかなあかんねん。」と強く意識したことをはっきり覚えています。

 突然の「自立宣言」日。
 松坂屋の食堂での記憶は
 はじめて、母とふたりきりの食事
 はじめて、自分にだけ買ってもらった人形
 たったそれだけのこと
 
 こどもって
 理屈ではなく
 今、起こっていることを
 丸ごと、全身全霊で受け止め
 時間に流されていかざるをえない・・・

 「ひとりで生きていかねばならない」「甘えてはならない」との思いからか、泣くこともなく、知らず知らず、何があってもじっと我慢し続ける子どもになっていました。

 でも、そこはやっぱり子どもは子ども。
 夜寝ている間に涙が出ていたのでしょう、乳母のようなおばさんから「耳たぶに涙がたまっていたよ」と言われたことがありました。
 
 また、積もり積もった思いが、一度だけ我慢できなくなりました。

 ある日の夕方、母に「仕事に行かんといて」
 「私をほっていかんといて・・・」
 と泣いて訴えたことがあります。

 これには母もこたえたようで、これを契機に夜の仕事をやめ、転居することになりました。

 人生、はじめての「反乱」
 生みの母に
 最初で最後の自己主張

 小さな文化住宅の
 細い細い路地
 
 私の遊び空間
 新しい居場所での

 ほんの一瞬の出来事
 守口から移り住んで数ゕ月目のことでした。
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by 6570295 | 2011-07-10 23:32 | 私のあゆみ

第2回

第1章 あんたはうちの子やない

<2>明るい性格が一変


 ある日、突然母親を名乗る「知らない人」に連れて帰られ、移り住んでからも、水商売で生計を立てていた母は、夕方に出かけ夜中に帰ってくる・・・

 私は朝、ひとりで起き、大阪市立道仁小学校に通う。
 こんな関係だったので、母と接する機会はあまりありませんでした。
 不憫に思ったのか、乳母のような人が夜の食事を用意して、寝入るまで一緒にいてくれていました。
 本当に静かな時間をくりかえしていました。
 楽しく、キラキラと輝いているはずの「小学校1年生」の思い出はほとんどありません。

 家にお父さんが居ない・・・そのことが不思議ではなかったのに
 学校で「父の日」に白いカーネーションを渡される
 そんな時代でした・・・そしてそんな生活の中で現実を刻んでいくこととなります。

 あまり覚えていないのですが、時々父親が会いに来たり、母は以前病院で働いていた関係で、家には注射器などがあって、それで水鉄砲のような遊びをしたり・・・の生活でした。

 小学3年生くらいまでは、ひとり遊びが中心で、友だちの中にいても全く目立たず、家でも学校でもいじいじした子どもでした。
 元気はつらつの幼稚園時代から、一挙に性格が変わってしまったのです。


 こども時代・・・全身全霊で生きている時代
 生活まるごとが、自分そのもの・・・の時代

 小さな世界に少しずつ現実の厳しさが影を落としていきます。
 たくさんの人に関わってもらった空間から放り出され、知らない土地で知らない人と・・・時間を歩くこととなりました。
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by 6570295 | 2011-07-03 19:45 | 私のあゆみ