第4回
2011年 07月 16日
第1章あんたはうちの子やない
<4>お弁当作りだけが思い出に
母が夜の仕事をやめて再出発することになり、大阪市住吉区、住吉大社近くに転居。
そこで母は喫茶店「スワン」を始めました。
しかし、母の忙しさは変わらないまま。
いつも夜遅くまで喫茶店で働き、家に帰ってくるのは私が寝てからという生活・・・。
結局、ひとりで起きて学校に行く・・・という生活は変わりませんでした。
時々私がお客さんのいない喫茶店に行って、夕方のテレビを見たり、みつまめを食べてそのまま「おやすみ」をいってひとりで帰るような日々。
お店と自宅のドア1枚・・・それなのに母との距離はあまり近づきませんでした。
もちろん、母に遊んでもらった記憶はありません。
ある日、
「あんたは、いつもおばちゃんって言う・・・。」
その言葉は、しっかり記憶に残っています。
わずかな記憶の中・・・
運動会の時にお弁当用のかやくご飯の作り方を教えてもらったことは覚えています。
ごぼうのササガキの作り方の手ほどきをうけ、最初から最後まで私が包丁を握っていました。
母と一緒に何かをした最初で最後の思い出・・・
だから、いつまでも記憶に残っているのでしょうか。
運動会に来てくれたのか?
その記憶はまったくありません。
運動会そのものの記憶も・・・。
<4>お弁当作りだけが思い出に
母が夜の仕事をやめて再出発することになり、大阪市住吉区、住吉大社近くに転居。
そこで母は喫茶店「スワン」を始めました。
しかし、母の忙しさは変わらないまま。
いつも夜遅くまで喫茶店で働き、家に帰ってくるのは私が寝てからという生活・・・。
結局、ひとりで起きて学校に行く・・・という生活は変わりませんでした。
時々私がお客さんのいない喫茶店に行って、夕方のテレビを見たり、みつまめを食べてそのまま「おやすみ」をいってひとりで帰るような日々。
お店と自宅のドア1枚・・・それなのに母との距離はあまり近づきませんでした。
もちろん、母に遊んでもらった記憶はありません。
ある日、
「あんたは、いつもおばちゃんって言う・・・。」
その言葉は、しっかり記憶に残っています。
わずかな記憶の中・・・
運動会の時にお弁当用のかやくご飯の作り方を教えてもらったことは覚えています。
ごぼうのササガキの作り方の手ほどきをうけ、最初から最後まで私が包丁を握っていました。
母と一緒に何かをした最初で最後の思い出・・・
だから、いつまでも記憶に残っているのでしょうか。
運動会に来てくれたのか?
その記憶はまったくありません。
運動会そのものの記憶も・・・。
by 6570295
| 2011-07-16 22:51
| 私のあゆみ