第1章あんたはうちの子やない
<19>卒業直後からバイト三昧
なぜ、それほどまで市立高校入学に固執したのか。家庭の経済事情を考えなかったのか。単に「電車に乗ること」にあこがれただけなのか。いまでも分からないのですが、最後は担任の「お母さん、行かしてもいいんじゃないですか」のアドバイスと父親の「行かしたれ」のひと言で、希望通りの高校に入学することができました。
いままでとはまったく違う世界。
こどもから大人へ、自分で考え責任をもって行動する・・・。本当は家族にも周りの人にも甘えているんだけれど、その自覚はなく、主観的には立派に自立し、必死で自分の道を歩みはじめた、そんな高校生活のスタートでした。
どんどん世界が広がっていくことは、夢や希望でありましたが、一方で厳しい現実を知ることにもなります。
家の経済事情はよく知っていたため、「家に甘えるわけにはいかない、お金を稼がねば」と中学校の卒業式の直後からバイトを始めました。
高校の授業料や交通費は親が払ってくれましたが、それ以外のお小遣いなどは自分で稼ぐのが当たり前。春のバイトで1学期を、夏のバイトで2学期を過ごす、といったサイクルでした。
それからずっと働きづめ(^―^;)ですね。
中学3年生卒業後の春休みと言えば15歳ですが、スーパーの中に出店している宝石屋さんに雇ってもらいました。
その当時、お買い物といえば、守口の自宅近くの千林。そこでアルバイトの募集案内を見つけ、すぐに「雇ってください。」とかけ込みました。すぐに雇われ、人生初めての労働がはじまりました。
数日、千林店で営業の手伝いをし、また、違う店舗へ移動していく。「初めての経験」の連続でした。家から1時間以上かかる兵庫県の伊丹店まで電車で“通勤”したこともありました。
まさに、怖いもの知らず・・・の典型ですね。
高校の入学式までの数週間。安い服地を買って自分で縫ったワンピースを着て、「とてもこどもには見えない」おしゃれな格好で宝石の販売のバイトにいそしんだのです。
うんと大人びた私の活動のはじまり・・・それと同時に、絵に描いたような高校生としての青春・・・私の活動が広がっていきました。
第1章 完
<19>卒業直後からバイト三昧
なぜ、それほどまで市立高校入学に固執したのか。家庭の経済事情を考えなかったのか。単に「電車に乗ること」にあこがれただけなのか。いまでも分からないのですが、最後は担任の「お母さん、行かしてもいいんじゃないですか」のアドバイスと父親の「行かしたれ」のひと言で、希望通りの高校に入学することができました。
いままでとはまったく違う世界。
こどもから大人へ、自分で考え責任をもって行動する・・・。本当は家族にも周りの人にも甘えているんだけれど、その自覚はなく、主観的には立派に自立し、必死で自分の道を歩みはじめた、そんな高校生活のスタートでした。
どんどん世界が広がっていくことは、夢や希望でありましたが、一方で厳しい現実を知ることにもなります。
家の経済事情はよく知っていたため、「家に甘えるわけにはいかない、お金を稼がねば」と中学校の卒業式の直後からバイトを始めました。
高校の授業料や交通費は親が払ってくれましたが、それ以外のお小遣いなどは自分で稼ぐのが当たり前。春のバイトで1学期を、夏のバイトで2学期を過ごす、といったサイクルでした。
それからずっと働きづめ(^―^;)ですね。
中学3年生卒業後の春休みと言えば15歳ですが、スーパーの中に出店している宝石屋さんに雇ってもらいました。
その当時、お買い物といえば、守口の自宅近くの千林。そこでアルバイトの募集案内を見つけ、すぐに「雇ってください。」とかけ込みました。すぐに雇われ、人生初めての労働がはじまりました。
数日、千林店で営業の手伝いをし、また、違う店舗へ移動していく。「初めての経験」の連続でした。家から1時間以上かかる兵庫県の伊丹店まで電車で“通勤”したこともありました。
まさに、怖いもの知らず・・・の典型ですね。
高校の入学式までの数週間。安い服地を買って自分で縫ったワンピースを着て、「とてもこどもには見えない」おしゃれな格好で宝石の販売のバイトにいそしんだのです。
うんと大人びた私の活動のはじまり・・・それと同時に、絵に描いたような高校生としての青春・・・私の活動が広がっていきました。
第1章 完
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by 6570295
| 2011-12-04 09:40
| 私のあゆみ